Thursday, September 19, 2013

無題

サンフランシスコのケーブルカー内で 女の子がカメラに快く反応してくれたよ

一つの言葉を以てしても、

発する側の感覚と、受け取る側の感覚ってまるでちがったりする。


なんというか、言葉の限界を感じてしまう。

言葉の偉大さ(脅威)も同時に感じてしまう。


***
とても嬉しいことがあって、そのことを人に伝えてみると

喜ばれる。

しかし、その詳細を話してみると

えー… と言う反応がみられたりも する。


昔、彼女がいる人と関係を持ったという話を友人にしたところ「そんなことするまみちゃんとは話したくない」と言われたことがあった。

どうして? と思っていたけど受け入れない範疇だったからだと思う。
きっと経験しないとわからないことなんだ っとその時は済ませた。

最近も、友人が(あることに対して)受け入れきれず拒否を示してきたことがあった。

どうして? っとまた戸惑った。
けれども、ハッとした。
自分が伝えすぎていたのか〜 っと。 
どーでもいいことを。
それは相手にとっては押し付けのような感じだったんだ〜 っと。

それからは、自分の中にとどめている。
それで1番良いように感じられている。

***
けれども、言葉に対する限界を感じることもあり。
言葉ってちっぽけだったり、膨らみすぎて怖くなることもあるし。
なので、最近はあまりブログを書く頻度が減ったりして。


その言葉の意味だけを拾い集めて理解しようとされると、どうもうまくいかない気がして…


今は模索中みたい。


言葉に翻弄されすぎないようにしたい。
包括的に感じ取っていきたいな。

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